アメリカ出張

先月半ばに通訳の仕事でアメリカに行ってきました。

海外の仕事だといつも西海岸が多かったのですが、

今回は久しぶりの東海岸でした。

小さい頃に住んでいた州に近く、それから比べると

およそ20年以上の期間が空いていました。

移動時間が普段より長いのは正直疲れますが、

いつもと違う、そして自分のルーツを感じられるような場所に行くと

新たな刺激をもらえるので、とても楽しみにしていた滞在でした。

 

ただ、今回は通訳において対話の中でのコミュニケーションが

うまく取れないことがあり、正直すごくしんどい思いをした滞在でもありました。

二人の間の中で、自然な流れとともにスイスイと通訳が進んでいたのに、

一度歯車が狂ってしまって修正が全く効かずに、どんどん大変な方への流れに傾いてしまい、

間に挟まれた自分の力量を情けなく思いながらもそれに振り回されてしまったのです。

その瞬間、本当に一瞬ですが、自分の中の怒りの感情が噴出してしまいました。

 

終わって振り返ってみると、お互いがそれぞれの主張することを受け入れられないような

状態になってしまったことが原因ではあるように思いますが、

その橋渡しをしている通訳の役割というものは非常に大きいです。

通訳として自分の意識をコントロールできないのは失格ですね。

その場は最終的にはなんとか場はうまく収まりましたが、

仲立ちに立つという役割の重要性と難しさを改めて考えさせられる出来事でもありました。

 

その経験を経て日本に帰ってきてみると、

そうして怒ってしまった自分に対して気持ちよくない感覚が思い浮かぶからか、

セッションをしている間も感情が揺れないような心持ちを意識しているように感じます。

その時は自然と、お客さんのカラダに触れている自分を外から眺めているような感覚を持ちながら

セッションが進んでいる気がしています。

 

自分の今のタッチは何を意味するのか?

どんな意図なのか?

どんな情報によって引き起こされたのか?

本当に自然に導かれているのか?

自分が起こそうとしてないか?

 

このような問いかけを自然と思い出します。

そのフェーズをひょいと越えると、その外から眺めている感覚さえ消えているようなときもあります。

そのときはただ手がそこにあって、言われるがままに手が動いてカラダの各部分を触っているような感覚。

動く自分の手と動かされている手が同時に発生しているので、

その感覚のゾーンに入るとなんだか不思議でいて心地が良いんですね。

何がその先に起こるのか分かりませんが、少なくともその感覚があるときに

クライアントさんのカラダに変な違和感が残ったりすることはないですし、

からだの反応も流れてきて呼吸が深くなったりからだの中がスッキリし始めたりするので、

ただその感覚を信じながら任せるようにしています。

そうすると、ある瞬間に、ふっと終わる感覚が出てきて、手をゆっくり離せるようになるんですね。

その流れを感じるのが、今回の渡米を経てよりナチュラルにできるようになった気がします。

自分の奥底の嫌なところ、感情がむき出しになるところを見させられて、

それとの適切な距離感を測ってニュートラルでいるようにしている感じなのでしょうかね。

感情的になってしまった経験自体は自分の中ではとても反省しているんですけれども、

それを通じてこうして学んでいることもあるから良かったと思えています。

 

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