感覚のゲートを開いてあげる

自分の感覚を信じてあげて、と良く言われますが、
まず感覚って何?って人が多いと思います。
現に自分も過去にそうだったし。
でも、そのわからない時代からも、感覚というものには興味がすごくあった。
勘に優れてる、とか、嗅覚だとか、抽象的な考え方が人の考えの軸にある、といった感覚。
でも、僕はそれができなくて、目に見えて、
計算式で表せるものしか信じることができてなかった。
今もその名残はあると思うし、こういった文章とかも、
話し方も、理性的というか、かっちりはっきりした表現が得意であった。
3年前にロルフィングに出会って、セッションを受けて、
感覚のゲートが開かれた。
それとともに、その感覚を育てるのにうってつけの場所、
ボルダーで生活し、いろんなことに悩みながらも、
丁寧に、少しずつ自分の中での感覚というものが
成長していることを肌でとても感じていた。
表現の方法も少しずつ変わってきたと思うし、
日本での自分は持っていなかった感覚とともに日々、生活して来た気がする。
それが、ココ最近の日本での生活で、また感覚のレベルが
渡米前に戻ってしまった気がする。なんか、落ちたという感じ。
日本に帰って来た当初の11月、そして一時帰国していた去年の6、7月、
自分の感覚に赴くままに息をしていた気がする。
それが、日本の常識、いわゆる普通の物差しから外れていたとしても、
僕にとっては気持ちよかったのだ。
その頃は自分が自分らしくいられた気がしたから。
でも、それじゃいけないと思って、というか日本にいるのだから
自分の基準を日本のものに合わせないと、という部分の自覚があって、
飲食関係のバイトを始めた。
日本の社会の中に入ることを選んだ。
そのおかげで学んだことは沢山あるし、
4ヶ月の生活なりに日本の現状を肌で感じられている気もしている。
でも、そのことによって、せっかく開いた感覚のゲートが
閉じようとしていることもひしひしと感じている。
感覚というもの自体に注意を向けることも少なくなったし、
余裕がなくなってしまった。
一時帰国していた頃の、あの感覚にちょっと戻りたい。
アメリカ人かぶれの感覚も、常識も、文化も、
それが自分に合うのであれば、それは無理して閉じ込める必要はないのではないか、
とも感じる。現時点で持ち合わせている、
日本の社会に適応させようとしている部分と、
当時持っていた感覚のゲートをフルオープンできる状態と、
うまくバランスをとりたい。
それが達成されてきた頃に、自分はまた違うステップにいける気がしている。
きっと、1年とかそんな簡単にできるものではないと思うし、
3年、5年、いやもっとかかるものなのかもしれない。
去年の年末から自分の中でモヤモヤ感じていた部分が、
ここ一週間でちょっとずつクリアになってきた。
最近の休日は、ランダムでセッションが入ったりしていて、
しっかりリフレッシュできる時間もなかった。
それはそれで幸せだし、自分の糧となる時間をもつことができるのは
とても有り難いこと。
でも、その中でも、一人になって、しっかり考える、
ぼーっと過ごす時間がほしかった。
3月に入ってから店の新規改装オープンに伴い、
慣れない職場に戸惑いつつ目に見えない疲れがたまる日々だった。
そんな中で、ここ二、三日の休みは何もしなくても良い日が重なったので、
一人になっていろいろ考えることができた。
そういった時間を持つことができて、やっぱり良かったな。落ち着いた。
明日は、大学時代からの親友が立ち上げたイベントの運営を手伝ってきます。
参加者は100名近くになるそうな。
あまり準備には参加できなかったけど、当日は思い切り楽しんできます。
長々とツイート失礼しました。

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